[ATSUMIカエル美和子 プロフィール]
三重県鈴鹿市生まれ大阪育ち
就職で上京しOL5年目に
湘南(鎌倉)へ移住
茅ヶ崎在住

Art studio 凛 HP
 https://artstudio-rin.net










 




第13話 楽しいを形にする人
ATSUMI カエル 美和子

 

最近ではうめ庵のお客様の間でも「カエルの人」として人気ある
ATSUMIカエル美和子さん(以下 あつみちゃん)
あまりにも近い存在過ぎてここで紹介してなかったことにも気づかず
長い年月が経ってしまった
あつみちゃんは私にとって気のおけない仲で共鳴しちゃうことが
多々あって何でもわかりあってますと言いたいところだけど...
もっとも両極に存在する人でもあって
だからか彼女のことを書くのは結構難しいなと感じていたのが正直なところ

あつみちゃんの人となりが伝わる文章が本人から送られてきたので
あえて今回はそのまま掲載させてもらおうと思います

大阪万博の年三重県鈴鹿市に生まれる
5歳上の兄の影響でか男勝りに育つ

兄の真似ばかりしては出来ないと泣く
「美和子ちゃんは女の子だから」
となだめられると
「女の子に産んでくれなんて頼んでない 何故男の子に産んでくれなかったのか」
とまた泣いたそう...

幼少期からお転婆の割には読むこと書くこと手を動かすことが好きだった
中高は部活に明け暮れ
大学はバイトに明け暮れ
運良く就職が決まり大阪を離れ念願の独り暮らしを始める

横浜→川崎→東京(中野→恵比寿→中野)→鎌倉→鵠沼→鎌倉→茅ヶ崎
なかなか落ち着かないが茅ヶ崎は今春18年目に入り
人生最長...(ギョギョギョ大阪より長い!)

ある日ひょんなこと(Part.1)で
『サンドブラスト』に出逢い ひとめ惚れ...

車を買うはずだった貯金で道具を揃えてしまう
...結果未だに足はLittle Cub(バイク)

道具の使い方の基本を教わり技を磨き副業としてスタート
サンドブラスト工房『アートスタジオ凛』を立ち上げる

記念品やお祝い品(結婚・出産・新築などなど)
看板や表札などの建築モノ
全て一点モノとしてデザインレイアウトも含め加工制作を始める

企業OL11年の末 早期退職しライフスタイルを変更


退職して間もなくひょんなこと(Part.2)から
知り合いの知り合いのそのまた知り合いからお声がけを頂き
初個展

...これがその後の人生に大きな影響を与える
元々は職人志望
サンドブラストも多少の提案はするにせよ
基本は『求められるものを作る』というスタンスで始めたわけだが
何故かArtの世界に少しずつ引き込まれ
ものづくり=何かを表現する(伝える)手段と捉えるようになってくる


商売としてのモノづくり
自己表現としてのモノづくり

前者はリクエストされて作ること(受動的)
後者は自ら作りたいもの伝えたいこと(能動的)
どちらも造ったモノは売り物で
作るだけでは仕事にならず売れて収入を得て初めて「仕事」だという
その当たり前のことが時に苦しくなることが悩みとなる
多くのクリエイターやアーティストが陥る「価格設定」にも悩む

基本はモノづくり一本
とは言え心もとなくなると
時給の仕事や業務委託などの事務仕事で凌ぐ

合間にテニスを続けベテラン大会で暴れたり
レッスンをして日銭を稼ぐ

サンドブラストを始めて15年
ポロシリケイトガラスに出逢う
造形もまたイッテンモノ
ハマって教室に通い始める

通っていたガラス教室の先生が大ブレイクし工房を移転することになり...
流れで引き継ぐことになる
自宅のサンドブラスト機材一式と共に
念願の独立工房『アートスタジオ凛』誕生
間もなく6年目に入ります

つくって売ったり
派遣社員で安定収入を得たり
テニスを教えたり
裏の畑で野菜を育てたり(昨年畑は惜しまれて宅地へと転身)
ここ数年は
サンドブラストとポロシリケイトガラス
そしてテニス(コーチ&プレイヤー)との3刀流

作業場風景



●ATSUMIカエル美和子の由縁

比類のカエル好きとして知られて久しいが
きっかけは初個展

当時はサンドブラスト『職人』でお客様の要望に沿ってガラスを『彫る仕事』
作品を創る
など思ってもみなかった
個展などの経験もなく絵を描くことも苦手
何度も断ったが
「何でもいいからともかく人助けだと思ってお願いしたい」
とまで言われて...引き受けてしまった

どうしよう...

鉛筆片手に落書きしてみる
開催期は梅雨時 初夏...
描いた(描けた)絵は
『カエル』と『ひまわり』
拙いカエルとひまわりを描いてはガラスの小物たちに彫りまくり
どうにかこうにか個展をやりきることができましたとさ(ホッ)

さて終了後
当時はインスタもフェイスブックもなく
自分で作っていたホームページに報告の記事をアップし
当時知りうる限りのメールアドレスで告知したところ
思いも寄らない反応を頂く

「あつみちゃん そんなにカエル好きだったんだね」

いやいや...それしか描けなかったのよね...
とは言えず...
その結果 その後誰彼からちょっとしたカエルグッズを頂くようになり
自宅や身の回りにカエルグッズが山ほど集まってきて
それがまた みなさん
こんなのどこで見つけてくるの?ってくらい愛らしかったり個性的だったり
シュールだったり
思わず顔が緩むキャラクターたちにいつの間にか虜に...

つまり あつみちゃんの『カエル好き』というのは自発的
ではなく  みなさんの勘違い(?)により
『カエル好きのあつみちゃん』が造られた
というわけです

●テニス

兄の影響で中学生から始める
同い年の伊達公子の存在により自分の凡人さを思い知る(3回対戦・3敗)
大学:同好会
社会人:実業団
全国レディース・ベテラン大会
なんだかんだで40年
今尚現役プレイヤー時々コーチ業

●家族の影響

父も母も 石橋を叩いて叩いて...挙げ句の果てに叩き割って
「ほらね 渡らなくて良かったでしょ」
というタイプ

父は釣りが趣味で自分で仕掛けを作ったり 
日常で壊れたものを何でも修理したりしてました
1番の大作で覚えているのは
大型ゴミに出ていたガット(ボールを当てる網の部分)の張られていない
テニスラケットを拾ってきて
荷造り用の紐を二本よりあわせてガットに見立て
見よう見まねでラケットに仕立てあげてくれました
まだ幼稚園児だった私はそのラケットで壁を相手にひとり遊びをしていました

●幼少期の影響

父母の仕事の関係で独り遊びが上手くなり
料理に興味を持ったり
日曜大工の技 工具の使い方を習得しました

小学1年生で転校した時
女子からイジメ?嫌がらせ?に遭い女子に嫌気がさしたせいで
早い段階で自らを「ユニセックス」と位置付け
女の子だから...という理由で叱られることに反発し男の子とばかり遊ぶ子どもでした

その結果面倒な人間関係をなるべく避けるようになりつつも
オープンマインドな性格から旅先で友達を作るのが得意になりました

陰口を言わない 言われても気にしない
腹を割って話せる友が世の中にひとりだけでもいればいい

●うめ庵 庵主 丸山晶子との出逢い

共通の知り合いを通して丸山晶子初個展@鎌倉で初対面
知り合いから聞かされてた彼女と実際自分が会って感じたのとは違ったことが印象的
それがきっかけで多分うめ展に誘ってもらったのが
今に至る大元だった気がするんだけど

何よりある時期 ほぼ固定メンバーで定期的にうめ庵に集まる風習ができて
夕方になると三々五々集まってはひたすらお茶を啜りながら
(みんなバイクや車だったから ノンアル)
あーでもないこーでもないと夜更けまで話しこんでたんだよね
今思い返してもよく話が尽きなかったもんだと感心する...

その時期にドブーーーっと親しく...というか...近しく...というか...
深く...というか...何というか
そんな関係になって

いつの間にかその集いはフェードアウトしちゃったんだけど
丸ちゃんとは年に数回会う程度で
長ーーーーい付き合いという感じではないのだけど
何故かむかーーーしからの付き合いで
長ーーーーく 深ーーーーく
知り合ってる気になってて不思議

ちなみに今 私のヨソ行きのお洋服の8割は丸ちゃんの作品です

 

●今後の抱負

『ものづくり』は一生のライフワークとして
どういうカタチであれ一生続けていきます
欲を言えば どこかのタイミングで
これまでやってきたいろんな作りものの集大成みたいなモノを
作品として残すチャレンジをします!
理想に向かってひたむきに行動していきます!!

 

さて ここからは私 丸山晶子が書かせて頂きます

あつみちゃんとの出逢いは2005年に鎌倉で開催した私の初個展の時でした
私の京都の友人がその会場に彼女を連れてきたのです

その個展会場はあつみちゃんが以前住んでた場所に近かったこともあり
関西出身の人なのに鎌倉のその場所に思い入れがあって
なんなら私よりも鎌倉のことよく知ってるくらいの勢いで話をして
個展終わりの翌日に京都の友だちと3人で海辺のカフェで会った時には
出逢ってたった2日くらいなのに旧知の友かというくらいの距離感で
彼女の悩み事を聞いてたのが始まりだったのです

その後今度は私があつみちゃんの個展に一度行ったというのは覚えているけど
そこから2年半くらいどれだけのペースで会ってたのかとかは全く覚えてなくて
2008年にアトリエうめ庵が出来た頃
彼女も書いてくれてるように毎週月曜になると三々五々うめ庵に集まっては
夜が更ける時間までお茶飲んで語りあってたその輪の中に彼女はいたのです

あつみちゃんの書いてくれた文章を読んでもわかるとおり
とにかくつまびらかに自分を出せる人なのです
かっこつけないっていうのかな 
自慢したり自分を大きく見せちゃうみたいなとこは全くない
(テニスのことも本人はさらっと書いてるけどかなりの実力者で
先日うめ庵のお客様がネットであつみちゃんのことを検索したらテニスのことが
たくさん出て来てびっくりしたと言ってました)
うめ庵で集まって話してた時も何でもぶっちゃけトーク全開なのです
とにかく苦悩の人というか考える人で...
まあそれは彼女の頭の良さにもあるわけだけど
いつも何かを考えて悩みの中にいる
男勝りに育つと彼女は自分のことを書いてるけれど
私の中ではむしろ真逆で誰よりも繊細で放っておけない女の子なイメージです

そんなこんなで1年近く濃密な時間を過ごして
2009年の春のうめ展第1回目で初めて一緒に展示をしたのです
でもそれを最後に
なんだかんだといろいろあって会わない時期が続くのでした...

時は流れ...うめ庵もお客様が増えいろんな作家たちが集まるようになりました
カエル好き...私もカエル好き...あなたもカエル好き?みたいな
話になってカエルと言えば あつみちゃん! 呼ぼう!!
...今にして思えばあつみちゃんとまた一緒に何かしたいって気持ちが強かったから
カエルテーマの展示しよってなって
2015年の春のうめ展で久しぶりに一緒に展示することになったのです

不思議なことに会わない期間は結構長かったように思うけれど
会ってしまえばずっと一緒にいたかのような距離感に一瞬で戻れる
それは多分みんなもそんな感じで
それが彼女の生い立ちの中で育まれた人間関係の築き方にあって
彼女の魅力のひとつなんだと思う

でもって最大の魅力は悩みの中にいたとしてもものすごい勢いで
成長して前へ突き進む力があるところ
あつみちゃんの未来はまだまだ可能性に満ち満ちてて
ピュアな作品をたくさん創り出してる
そして今年のうめ展では展示だけでなく初のワークショップも開催してくれる
私はこれからのあつみちゃんが楽しみで仕方ない

またいっぱいえんがわで話そ
                     2024年3月 



 
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